LanguageLANG
Column

このまちディクショナリー~新宿区編~

世界一の乗降者数を誇るビッグターミナル駅・新宿駅。
西口に広がる東京都庁をはじめとした近代的なオフィス街や、東側に広がる眠らない町・歌舞伎町…。
新宿区と言えば殊更に近代的な印象が強いエリアです。しかし、神楽坂に代表される歴史と情緒 を感じられる街や、市ヶ谷のような高級住宅地、高田馬場に代表されるような学生街、新大久保のような異国感の漂う観光地など、エリアによって住む人や訪れる人がガラッと変わる面白い街でもあります。

今も昔も多くの人が行き交い集う街、新宿

昼夜問わず多くの人が行き交う街、新宿区。
新宿という名前は江戸時代に整備された五街道「甲州街道」の宿場町だったことに由来します。 当時このエリアに屋敷をおいていた内藤家が宿場町を作る際に幕府へ土地を返上したため、「内藤家の屋敷だったところに作られた新しい宿」という意味で「内藤新宿」と呼ばれました。このことから、このエリア一帯が後に新宿と呼ばれるようになったと言います。
各街道で江戸と地方を繋ぐ五街道の宿場町として大層な賑わいを見せていた内藤新宿。そして世界一の乗降者数を誇る新宿駅。このエリアは今も昔もターミナルとして発展をしてきました。

また、歴史的な観点からみても外せないのが花街・神楽坂です。
「東京六花街」とよばれる花街の1つとして 大正時代に隆盛したこのエリアは料亭や商店で賑わい、夏目漱石など多くの文化人に愛されていました。花街特有とも言われる路地も多く、中でも「かくれんぼ横丁」と言われる横丁は「花街へ遊びに来てもこの路地に入り込めば追手を撒ける」と言われるほど、細い小路が入り組んでいます。
現在の「夜の街」は歌舞伎町のイメージが強いですが、当時はこの神楽坂が「夜の街」として人々が娯楽を求める地であり、愉しめる大人の街として人気を博していました。

そしてもう1つ。意外とも思えるのが、かつて新宿は染物の街だった、ということです。中でも高田馬場を中心に経済産業省大臣指定の伝統工芸品である「東京染小紋」「東京手描友禅」などが新宿区の高田馬場を中心に栄えていました。明治、大正の時代を経て昭和に入った頃には当時の流行を取り入れた染物を展開したことで需要が増え、新宿は京都・金沢と並ぶ三大産地と言われるようになりました。

文化人が好み、拠点とした場所

新宿区は著名な文化人 が多く拠点を構えた地でもあります。その居宅やアトリエは今も残されており、文化人ならではの趣向を凝らした建物は史跡としても有名です。中でも、「放浪記」がベストセラーとなった林芙美子の居宅であった「林芙美子記念館」は東京都選定の歴史的建造物に選定されており、「金色夜叉」の作者である尾崎紅葉の旧居跡は区の指定史跡、「荒野聖」「夜叉ヶ池」で有名な泉鏡花の旧居宅は区の登録史跡になっています。
また、「吾輩は猫である」「坊つちゃん」などで有名な明治の文豪・夏目漱石もこの新宿の地で生まれ育ち、晩年期を過ごしました。現在の早稲田南町にあった「漱石山房」弟子や多くの文化人の集うサロンとして使われていたと言います。当時の漱石山房は戦火に呑まれ焼失をしてしまいましたが、2017年に生誕150周年を記念し「漱石山房記念館」として生まれ変わり、多くの人々に愛されています。

林芙美子記念館

漱石山房記念館

町名が多い区、新宿

江戸時代には現在の千代田区にある江戸城を中心とした政治が行われ、新宿区はそのお膝元として多くの武家屋敷がおかれていました。そのため当時の出来事等を由来とした町名が多く存在し、町民の保存運動により現在まで残されています。

四谷

千駄ヶ谷、茗荷谷、大上谷、千日谷という谷が4つあったためという説や、4軒の茶屋があり「四つ屋」から「四谷」になった説など諸説あります。
四谷と言えば「東海道四谷怪談」で有名な「お岩さん」が祀られている「於岩稲荷田宮神社」「於岩稲荷陽運寺」があります。

高田馬場

8代将軍徳川吉宗が子息の天然痘平癒のために穴八幡宮奉納した流鏑馬が起源となり、馬術の訓練場である馬場を設けたことに由来します。
高田馬場は国内外で人気のある「忠臣蔵」の題材となった赤穂義士の1人である堀部安兵衛のエピソード「高田馬場の決闘」の地としても有名です。

百人町

江戸時代に幕府直属「伊賀組鉄砲百人隊」の屋敷があったことに由来します。鉄砲百人隊は江戸城西側からの襲撃に備えるために作られ、江戸の街を守っていたといいます。
しかし、「太平の世」と言われる江戸時代において戦果を挙げることが難しくなると百人隊など下級武士の生活は困窮。そこで副業として始めたのがツツジの栽培です。その後ツツジの栽培がこの地で盛んにおこなわれたことで、1972年に区の花に制定されるまでに至りました。

一度は目で見て感じたい!新宿区の歴史的建造物

上述の史跡の他にも、新宿区には多くの歴史的建造物があります。そして新宿区の歴史的建造物は建物 としてだけでなく、日本の歴史上でも重要な意味を持つものが多数を占めているのが特徴です。

新宿御苑

元々は徳川家康が家臣に授けた土地でしたが、明治期に入り牧畜園芸の改良のために作られた「内藤新宿試験場」となった後、宮内省管轄の庭園に改造 された新宿御苑。日本庭園やイギリス風景式庭園、フランス式整形庭園などで構成される広大な庭園となっています。敷地内には昭和天皇の御成婚記念に寄贈された台湾閣(旧御涼所)や、天皇や皇族の休憩所として利用されていた旧洋館御休所などの歴史的建造物が所在しています。台湾閣は東京都選定歴史的建造物に、旧洋館御休所は国指定重要文化財に選出されています。

早稲田大学早稲田キャンパス

第8代・17代内閣総理大臣を歴任した大隈重信が創立した早稲田大学。この敷地内には国指定の重要文化財である大隈記念大講堂(1927年築)や、東京都選定歴史的建造物である2号館(1925年築)、新宿区指定有形文化財の演劇博物館(1928年築)といった様々な歴史的建造物が存在します。また、総合案内所や大隈庭園といった大隈重信の遺構があるほか、築700年とも言われる飛騨の山村の古屋を移築した完之荘といった趣ある建築物もあります。

学習院女子中等科・高等科

1885年、華族の子女のための官立教育機関「華族女学校」として設立された学習院女子中等科・高等科。シンボルとも言える赤茶色の正門は日本最古の鋳鉄製の門であり、国の重要文化財にも指定されています。近衛騎兵連隊の遺構でもあるB館・C館は1912年頃に建てられたレンガ造の建物があるほか、テニスコートの下から奈良時代の遺跡が発掘されたことでも話題を呼びました。

旧小笠原伯爵邸

1927年竣工の旧小笠原伯爵邸は、旧小倉藩主の邸宅として建てられました。スパニッシュ様式の建物で、設計は鹿鳴館やニコライ堂、三菱一号館の設計で有名なジョサイア・コンドル氏の弟子の1人であった曾禰達蔵氏が立ち上げた日本初の民間建築事務所・曾禰中條建築事務所が請け負いました。現在はレストランとして営業をしており、パーティーや結婚式会場としても人気です。2004年に都選定歴史的建造物に選ばれています。

伊勢丹新宿本店

1926年築の旧ほていやと1933年築の旧伊勢丹新宿本店を合体 させた現在の伊勢丹新宿本店。アール・デコ様式を採用した重厚感のある外観は東京都選定の歴史的建造物に選ばれています。戦災を免れ、堂々と君臨し続ける新宿のシンボルとして、今も昔も多くの人から愛されています。

老若男女問わず、昼夜も目的も問わず、常に人が集まる街

宿場町として発展をし、今や日本だけでなく世界を代表するターミナル駅を擁する新宿エリア。様々な人が行き交い、集うこの街は歴史の情緒と現代日本の世相が同居しているが故の魅力に溢れ、今後もさらなる発展が期待できます。