北区はその名前の通り、東京23区の北部、都心と埼玉方面を結ぶ交通の要衝に位置します。鉄道が通った時期も早く、140年ほど前の1883年に「王子駅」が設けられて以降、鉄道網が充実し、現在はJR山手線、JR京浜東北線、JR埼京線、東京メトロ南北線、都営三田線、都電荒川線と、実に多くの路線を利用できます。区内にJRの駅は11駅あり、これは都内最多数。交通利便性に非常に優れたエリアであることが北区の魅力の1つです。
「東京三大銀座」にも数えられ、明治時代後半から店が建ち始めた「十条銀座商店街」など、商店街もにぎわいます。
国内で最古の公園の一つ「飛鳥山公園」は、桜の名所としても知られます。他にも「北区立中央公園」「赤羽自然観察公園」などの大規模な公園、「日本の都市公園百選」に選ばれている「音無親水公園」、歴史ある「旧古河庭園」、「荒川」河川敷の緑地などもあり、住民の憩いの場となっています。
ここでは現在の北区域を「北区エリア」として紹介していきます。
赤羽駅
音無親水公園
■1 近世までの北区エリア
北区エリアは「武蔵野台地」と「荒川低地」からなり、「武蔵野台地」の崖線付近には、古代には郡衙(ぐんが。軍の役所)が置かれ、中世には「平塚城」などの城も築かれました。古来より、見晴らしの良さを活かし、豊島郡の中心としての地として機能を果たしてきました。
現在の北区には「王子」や「滝野川」といった地名があります。その由来はそれぞれ、鎌倉時代後期に現在の「王子神社」を勧請したことと、旧・滝野川村と旧・王子村の境界などを流れる川のこのあたりの流れが滝のように急であったためと言われています。
江戸期の北区エリアには、江戸日本橋を起点に幸手宿の南方で五街道の一つ日光道中と合流するまで続く「日光御成街道」が通っていました。徳川家康が没後「日光東照宮」に祀られると、以降の将軍が日光社参する際は「日光御成街道」が使用されました。「日光御成街道」のルートは、現在では「本郷通り」、「都道455号本郷赤羽線」、「国道122号」となっており、現在においても、北区を南北に貫く主要なルートとなっています。八代将軍・徳川吉宗は「日光御成街道」沿いでもある「飛鳥山」に桜を植え、「石神井川(滝野川)」にはカエデの植樹を行いました。その後、「飛鳥山」から「滝野川」にかけての一帯は花見・紅葉の名所として江戸有数の行楽地として発展し、春の花見、夏の川遊び、秋の紅葉狩りなど、一年を通じてにぎわうようになりました。
『富士三十六景』に描かれた「飛鳥山」(国立国会図書館蔵)
現在の「飛鳥山公園」
■2 明治期の北区エリア
明治期に入ると、北区エリアには大工場が立地するようになったほか、陸軍施設も続々と誕生し『軍都』とも呼ばれるようになります。人口も急増しそれに伴い商業も発展しました。
王子には、実業家・渋沢栄一が中心となって日本で最初期の洋紙工場「王子製紙」が1875年に完成、その一画には紙幣の印刷を行う「印刷局」の印刷所も置かれ、これをきっかけに、王子は日本の製紙・印刷業の拠点としても発展しました。渋沢栄一は明治期の日本を代表する実業家ですが、明治初期には初代紙幣頭を務めており、日本の紙幣発行という点でも多大な功績を残しています。渋沢栄一は、2024年度より発行される新紙幣の一万円札の肖像画にも使用されます。
1883年、「日本鉄道」(現・JR高崎線)が開通、この地域の中心地で、行楽地としてもすでに発展していた王子には、開業当初から「王子駅」も設けられました。1911年には「王子電気軌道」の路面電車(現・都電荒川線)も開業。田端には「機関庫」なども置かれ、一帯は鉄道の要衝としても発展しました。
自然豊かな「飛鳥山」周辺には渋沢栄一の別邸(のちの本邸)、古河家の別邸(のちの本邸)など、実業家の邸宅も立地するようになりました。現在、渋沢邸跡は「飛鳥山公園」の一角で「旧渋沢庭園」として、古河邸跡は「旧古河庭園」として公開されています。
また、西ヶ原には林業・蚕業・農業の試験場も置かれ、産業の発達に貢献しました。これらの試験場は、明治後期から昭和中期にかけて郊外などに移転、広大な跡地は、現在「滝野川公園」「滝野川体育館」「地震の科学館」「西ケ原研修合同庁舎」「花と森の東京病院」「国立印刷局 東京工場」などの公共・公的な施設となっています。
用紙発祥の碑(王子製紙跡地)
旧古河庭園
■3 大正期~現在の北区エリア
関東大震災後、東京の都市部は拡大していき、1932年には東京市域が拡大となり、20区が新設されます。戦後「北区」となる「王子区」「滝野川区」もこの時に誕生しました。北豊島郡の「王子町」「岩淵町」の2町の区域をもって「王子区」に、「滝野川町」は単独で「滝野川区」となります。その後の整理統合の中で王子区と滝野川区が統合、北区が誕生となりました。
戦後、不要となった軍施設や軍需工場の広大な跡地には、大規模団地や学校、大公園、スポーツ施設などの大型の公共施設が誕生、快適・便利に暮らせる街へと成長しました。跡地を利用したものとしては、「北区立中央公園」「味の素フィールド西が丘」「国立スポーツ科学センター」など、他にも複数の施設があります。「北区立中央公園」内にある「中央公園文化センター」と「北区立中央図書館」(建物の一部)は、陸軍時代の建物を活用したもので、この地の歴史を伝える貴重なものとなっています。
また、戦後の北区は東京のベッドタウンとしての性格も強め、商業も発達、十条、赤羽などの駅前の商店街は都内有数のにぎわいを見せるようになりました。「東京三大銀座」にも数えられる「十条銀座商店街」は、200店近くが加盟するアーケードを中心に拡がる商店街で毎日地元の買い物客でにぎわっています。ほかにも、赤羽の「LaLaガーデン 赤羽スズラン通り商店街」、西ケ原の「霜降銀座商店街」をはじめ、北区内には70を超える商店街があり住民の生活を支えています。
北区立中央図書館
十条銀座商店街
■4 北区エリアの将来計画
東京23区内初の大規模団地であった「赤羽台団地」は、住棟の老朽化が進んだため、2000年以降、建て替えが行われ、「ヌーヴェル赤羽台」へ改称しました。建て替えにより空家となっていた板状住棟(41号棟)とスターハウス(42~44号棟)の4棟は、その歴史的価値から保存活用されることになり、2019年、「旧赤羽台団地41~44号棟」として、団地の建築としては初めて国の登録有形文化財となりました。「UR都市機構」はこの4棟とともに、都市の暮らしの歴史を学び、情報を発信する新たな展示施設を建設し、「URまちとくらしのミュージアム」として2023年に開館しています。
他にも、「赤羽駅」の北、「北区立赤羽台東小学校」の跡地の一部と、隣接する旧「赤羽台団地」の一部を一体開発する「赤羽台周辺地区中高層住宅複合B地区」の事業が進められています。タワーマンションなどが建設され、分譲住宅553戸、カフェなどの生活利便施設、公共的エレベータ・エスカレータを含む通り抜け通路などが整備される予定となっています。
「十条駅」西口では2025年度までの予定で「十条駅西口地区第一種市街地再開発事業」も進行中です。タワーマンションの「THE TOWER JUJO(ザ・タワー十条)」などが建設されています。施設名称は「J& TERRACE(ジェイトテラス)」、低層部分の商業・業務・公共施設名は「J& MALL(ジェイトモール)」に決定しました。「J&」とは、十条(JUJO)の頭文字「J」と、「ともに」の意味として「&」で、「十条と=J&(ジェイト)」と命名されています。
こういった大規模な開発も伴い、ますますの発展をしていく北区。商店街のにぎわいや公園、荒川河川敷など、変わらず続く風景とともに、新しい景色に期待が高まります。
ヌーヴェル赤羽台の街並み
荒川河川敷の風景
■5 伝統・文化 ミニコラム「縁起福熊手」
熊手は、もともとは枯れ葉や干し草などをかき込むために使用されていた農具でしたが、いつしか「福をかき込む」「客をかき込む」として、縁起物の「縁起福熊手」となりました。年末に各地の寺社で開催される「酉の市」などでは、多くの参拝客が家内安全や商売繁盛のため「縁起福熊手」を求めていきます。北区内では、毎年12月6日に開催される「王子神社熊手市」が有名です。
北区にある「王子芝善」は、1897年創業の明治時代から三代続く熊手商です。熊手は、販売を行う12月の年末の市に向けて、部品作りなどの下準備は1月から始まるそうです。「王子芝善」では、伝統的な熊手のほか、インテリアにもなる現代的なアイデア熊手も提案しています。
「王子芝善」の「縁起福熊手」