LanguageLANG
Column

日本酒(SAKE)の歴史~起源や日本文化との関わりを紹介

日本酒(SAKE)の歴史はどこから始まったのでしょうか。
世界にはさまざまなお酒があり、各国でそれぞれの酒文化が醸成されてきました。米から造られたお酒の一種である「日本酒」も、日本独自の酒文化です。

今回は、日本酒の起源と歴史を、日本文化とのかかわりを交えながら紹介します。現代の日本での日本酒の楽しみ方や、海外で日本酒人気が高まっている理由についても、あわせて解説します。日本酒の良さをもっと知って、日本酒ライフを楽しみましょう。

日本酒の起源

日本酒はいつ、どのようにして生まれたのか、日本酒の起源を紐解いていきましょう。

米を使ったお酒のはじまり

諸説ありますが、一説によると米を使ったお酒のはじまりは紀元前で、日本の暦では紀元前300~250年の弥生時代だと言われています。

日本酒の原料となる水稲は、紀元前300~200年ごろに渡来しました。それから弥生時代には稲作が広まり、その頃から日本酒のルーツとなる「どぶろく」のような酒が飲まれていたと考えられています(どぶろくについては後ほど解説します)。

米を原料としたお酒に関する最古の記録

「大隅国風土記 *」(713年以降)に、米を原料とした最古のお酒である「口嚼ノ酒(くちかみのさけ)」についての記述が見られます。口噛み酒(=口嚼ノ酒)とは米を口の中で噛み、唾液に含まれるアミラーゼなどの分解酵素で米のデンプンを糖に変え、空気中の野生酵母で発酵させたものです。当時、酒は神事に用いられることが多く、 口噛み酒造りは巫女が担っていました。

*風土記:奈良時代に天皇の詔によって編さんされた地方ごとの地形や文化風土、伝説などをまとめた地誌的文書。

一方、715年頃に成立したとされる「播磨国風土記」には、初めて「清酒(すみさけ)」が登場します。「神に供えた乾飯(かれいひ:干した米)が雨で濡れてカビが生えたため、その米を醸して酒を造った」 とあり、麹菌を用いて造った日本酒に関する最古の記述とされています。

日本酒(清酒)発祥の地は奈良県

日本の清酒の発祥地は奈良県の正暦寺と言われています。

なお、清酒と日本酒はしばしば混同されますが、明確な違いがあります。清酒は、米と米麹、水を材料として発酵させて濾(こ)したものです。日本酒も清酒の一種ですが、その原料の米は日本産、かつ日本国内で醸造したものに限られます。これが日本独自の酒である所以です。

正暦寺で清酒が造られる前は「にごり酒」が主流でした。日本酒の原型である「どぶろく」と「にごり酒」、「清酒(日本酒)」は濾す工程の違いでそれぞれ分類されます。

どぶろくは、濾す工程を行いません。醪(もろみ:材料を発酵させたもの)や澱(おり:醪を濾した後に残る微細な固形成分)がそのまま残り、とろりとした口当たりが特徴です。

にごり酒は醪を濾したもので、澱が残っているお酒です。澱の残り具合で、にごりの度合いや口当たりが変わります。清酒は、醪も澱も取り除いた透明なお酒です。

正暦寺では、「諸白造り(麹用の米・仕込み用の米の両方に精米した米を使うこと)」 という製法を開発しました。さらに乳酸菌での殺菌や段仕込み(複数回仕込みを行うこと)により、均質な状態の酒を量産することを可能にして、日本での清酒造りを確立したのです。

現存する最古の蔵元は1141年創業

明治時代以降、日本酒の蔵元の数は減少し続けていますが、由緒ある蔵元は今でも残っています。
1141年創業の「須藤本家」は現存する最古の酒造で、 純米大吟醸「郷乃譽」 で知られる蔵元です。

明治時代以降の蔵元の数は、以下のように推移しています。

西暦(年) 蔵元数(場)
1881 27,702
1904 11,438
1923 9,932
1931 8,481
1941 6,986
1946 3,153
1956 4,073
1973 3,303
1989 2,438
2000 2,007
2010 1,585
2020 1,252
2021 1,164

2021年現在の蔵元数は1,164場で 、1881年から比べるとおよそ24分の1と大幅に減少しています。

日本酒の歴史年表

清酒造りが本格化した奈良時代以降の日本酒の歴史を、時代ごとに見ていきましょう。

奈良時代

734年、「尾張国正税帳」に尾張国(現在の愛知県)から酒の材料として、大量の赤米を大炊寮(おおいのつかさ:諸国から集めた米を管理する役所)に献上したとの記述があります。当時から、米を原料にしたお酒を積極的に造っていたのでしょう。

7世紀後半~8世紀後半にかけて編さんされた日本最古の歌集「万葉集」 の和歌で、「酒屋(さかや)」という言葉が初めて登場 しました。酒造りをしていた酒屋なのか、酒を提供していた酒屋なのかは定かではありませんが、人々の身近に酒があったことがうかがえます。

平安時代

927年に選進(書物などを編集して天皇に奉ること)された「延喜式*」には、酒・醴(あまざけ)・酢を醸造し、宮中での儀式用の酒を司る「造酒司(みきのつかさ)」 という役所について記載があります。平安時代は、国家事業として酒造りが行われていたのです。

*延喜式 :奈良~平安時代の宮中における行事や国家制度などについての規定をまとめたもの。

また、奈良時代末期~平安時代初期に書かれた と言われる日本最古の仏教説話集「日本霊異記(にほんりょういき) 」には、酒を販売していた女性の説話が2つ 収められています。

鎌倉時代

大阪府河内長野市の金剛寺に所蔵されている「金剛寺文書」に、1233年に近畿地方の寺院で酒造りがはじまった との記載があります。大寺院の僧侶たちによって造られた清酒「僧坊酒(そうぼうしゅ)*」の誕生です。

神事など特別な行事のときだけ振る舞われていた日本酒ですが、大寺院による酒造技術の確立により、徐々に一般人にもわたるようになりました。

しかし、1252年に鎌倉幕府から「沽酒(こしゅ)の禁」 が出され、酒の売買が禁止されます。民家1戸あたりの酒壺を1壺*までと定め、それを超えた酒壺はすべて処分するように命じました。この時、鎌倉の民家にあった酒壺は37,000壺以上ともいわれています。

*一壺:約2升(3,6ℓ)~4升(7,2ℓ)と推定される

室町時代

京都に小規模な造り酒屋が数百軒も現れます。京都は各地から年貢米が集まり、米麹の製造と販売の権利を持つ北野神社もあったので、酒造りに適した環境でした。

この頃に造られていた僧坊酒のうち、特に評判が高かったのが正暦寺の「菩提泉」と金剛寺の「天野酒」 です。奈良の正暦寺は、「諸白造り」や火入れ(低温殺菌)、三段仕込みなどを取り入れ、安定した質の日本酒造りを実現しました。

また、室町時代には十石桶*が誕生し、1年に5回の酒造りを行っていた ため、日本酒の量産化が可能となりました。

*一石:約180L

江戸時代

江戸時代になると、さらに酒造技術が進化しました。江戸時代中期(約18世紀ごろ)までには、「米麹」を使った現在とほぼ同じような日本酒の製法が確立したと言われています。

1. 蒸した米に麹菌を繁殖させて米麹をつくる
2. 米麹に蒸し米と水、酵母を加えて「酒母(しゅぼ)」という酒のもとをつくる
3. 酒母に蒸し米と米麹を複数回に分けて追加していき、糖化とアルコール発酵をさらに促す(段仕込み)
4. 発酵が終わったら酒を絞り、低温で加熱殺菌して貯蔵・熟成する

また、室町時代は年間を通して日本酒が造られていましたが、江戸時代は酒造りに最適といわれる冬に集中して造られるようになりました。仕込み水 (日本酒の製造過程で使われる水)の質の違いが、日本酒の風味に大きな影響を与えることも、この頃に発見されています。

現在の酒蔵組織のルーツとなる杜氏(とうじ)・蔵人(くらびと)も、江戸時代に誕生しました。杜氏 は酒造りにおける最高責任者のことで、1つの酒蔵につきたった1人しかいません。蔵人は、杜氏のもとで酒造りを担う職人のことです。

明治時代・大正時代

1868年、明治政府が誕生します。江戸時代は、幕府が設定した酒造株を取得した者しか酒を造れませんでしたが、明治政府は免許料を払えば誰でも酒造ができるよう取り決めました。

1875年 2月には、酒造業者と販売業者に対して、それぞれ以下のような酒類税則(酒に関する税の規則)が定められます。
酒造業者 ・製造する酒類1種につき10円の酒造営業税
・販売価格の10%の醸造税
販売業者 1年あたり5円の酒類請売営業税

1880年 9月には新たに酒類税則が制定され、それまで酒類1種ごとに課されていた酒造免許税が酒造場ごとに課されるようになりました。醸造税は販売価格ではなく、製造した酒量に課税する方式(造石税) に変更されました。度重なる増税により、酒造業者の反対運動 も起こります。

また、一般的に木樽に詰められて輸送・販売されていた日本酒 ですが、1878年には瓶詰めの日本酒が登場しました。1901年には一升瓶での販売も開始 されますが、量り売りも第二次世界大戦後まで続きました 。

大正時代になるとホーロー(琺瑯)タンクが製造されるようになり、日本酒の仕込みや貯蔵に使用され始めます。
ホーローとは、ガラスの物質を金属の表側に焼き付けて作る素材です。これまで主に使用されてきた木桶(きおけ)と比べると、「洗浄や殺菌の手間がかからない」「火入れ後の酒を冷却しやすく酒の過熱を防げる」などのメリットがありました。 木桶との素材や保存の違いからも、ホーロータンクによって酒造の効率が上がったと考えられます。

昭和時代

戦後、日本酒を取り巻く環境は大きく変化します。防腐剤として使用されてきたサリチル酸の使用が1969年 に全面的に禁止されました。より安全性の高い日本酒が造られるようになります。

1975年には酒造組合中央会 により、市販の日本酒の製造年月日や原材料、製造方法などを表示する「清酒の表示に関する基準」が取りまとめられました。米から醸造した清酒と、糖類やアルコールを添加した酒類との差別化を図ったのです。
当時、市販されていた「清酒」のほとんどが糖類やアルコールを添加したものでした。この基準が制定されたことで、消費者が本格的な清酒を手軽に購入できるようになり、清酒のイメージもより上がったのではないかと考えられます。

1978年、日本酒造組合中央会は毎年10月1日を「日本酒の日」 として制定しました。
日本酒業界独自の暦「酒造年度」 において、昭和40酒造年度以前は、毎年10月1日~翌年9月30日が1年とされていました。新米の収穫がはじまり、多くの酒蔵で酒造りがはじまる10月1日を「日本酒の日」として定めたのです。
また、十二支の10番目である「酉」という漢字が酒壺を表していることも、10月1日に制定された理由の1つです。

明治以降から現代にいたるまで、原材料の米の品種改良や醸造技術の発達、設備の充実などにより、さらなる進化を遂げています。

現在の日本文化と日本酒の関わり

現在の日本での日本酒の楽しまれ方を紹介します。

神様にお供えする

日本の民族宗教「神道(しんとう)」では、古くから米や餅、お酒を神様へお供えしてきました。神様にお供えするお酒は「御神酒(ごしんしゅ、おみき)」と呼ばれ、お供えした後に人々へ振る舞われます。神様と同じものを口にすることで、神様との一体感や加護、恩恵を得られると考えられていたのです。

現代の日本でも、初宮参りや七五三などの伝統的な行事、結婚式や地鎮祭(じちんさい)*など、さまざまなタイミングで日本酒を神様にお供えします。邪気払いや長寿祈願、人と人とが新たな関係を結ぶ際に、日本酒は欠かせない存在です。

*地鎮祭:土木工事や建築工事を行う際に、神主を招いて工事の安全を祈願する儀式。

四季の行事で飲まれる

正月や節分、花見や月見など、季節ごとの行事が多い日本ですが、そこには必ず日本酒の存在があります。

正月には、日本酒に5~10種類の生薬を漬け込んだ「お屠蘇(とそ) 」という特別なお酒を飲むことがあります。

花見酒や月見酒、雪見酒などは、平安時代から続く風流な習慣です。夏は冷たく、冬は温めて飲むのも、季節に合わせた日本酒の飲み方と言えるでしょう。

3月3日のひな祭り(桃の節句)では、子どもたちに甘酒が振る舞われます。もともとは桃の花びらを日本酒に浸した「桃花酒(とうかしゅ)」 が振る舞われていました。邪気を払い、不老長寿を願う思いが込められた素敵なお酒です。

5月5日のこどもの日(端午の節句)には、子どもたちの無病息災を祈って「勝負」と「菖蒲」をかけた「菖蒲湯」に浸かることが有名です。大人たちには、刻んだ菖蒲をお酒に入れた「菖蒲酒 」が飲まれます。

食卓や宴などで日頃から飲まれる

日本酒は、宴会などはもちろん、普段の食事に合わせるなど、日頃から飲まれています。

醸造技術の発展に伴い、通常の日本酒よりも度数が低く、発泡性のあるスパークリング日本酒も誕生しました。和食だけでなく、洋食や中華にも合わせやすいのが特徴です。

海外からの日本酒の評価

日本酒が海外からどのような評価を受けているのかについて、紹介します。

日本酒の輸出は年々増加

日本酒は海外からも注目を集めており、日本酒の輸出も年々増えています。

▼清酒の年別累計輸出金額上位(参考:国税庁)
2020年 2021年 2022年
1位 アメリカ合衆国 中華人民共和国 中華人民共和国
2位 中華人民共和国 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国
3位 香港 香港 香港

長年、アメリカが清酒の輸出額1位をキープしていましたが、2021年からは中国が1位に変わりました。中国で、日本酒の需要が著しく増加したことがうかがえます。

また、2015年以降、台湾での日本酒の需要も大幅に上がっています。2020年と2021年の日本酒輸出金額はシンガポールに次いで5位、2022年の酒類輸出数量は1位を記録しました。台湾においては、高級な日本酒が好まれる傾向があるようです。

海外で日本酒の人気が高まっている理由

海外の多くの国で、日本酒の人気は高まっています。アメリカの場合、日本食レストランの増加や、大規模な日本酒イベントの開催により、認知度が高まったことが背景に挙げられます。日本酒を和食以外の料理と合わせるレストランも増えているようです。

近年、日本酒の需要が高まっている台湾では、2003年ごろから獺祭(だっさい)を火付け役として日本酒ブームがはじまりました。コロナ禍前は台湾からの訪日観光客も多く、日本酒に触れる機会が多かったことも、人気になった理由の1つでしょう。

清酒自体の輸出量が増えていることから、多くの国々で日本酒人気が高まっていると言えます。健康食としての日本食ブームの波に乗り、日本酒の認知度自体も上がっています。また、スパークリング日本酒など、洋食との相性も良く海外の人に受け入れられやすい日本酒が続々と誕生していることも人気の一因でしょう。

まとめ

古くから日本人に愛されてきた日本酒。現代では日本のみならず、海外での需要も高まっています。今もなお伝統的な製法を守りつつ造られている日本酒は、日本の文化を支えてきたものです。そのロマンを感じつつ、季節に合わせて日本酒を楽しんでみてはいかがでしょうか。