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このまちディクショナリー ~千代田区編~

東京23区の中心部であり、皇居と日本有数のビジネス街を擁する千代田区。この「千代田」という名前は、かつてこの地にあった江戸城が「千代=未来永劫」「田=田地」で「いつまでも栄える地であるように」とつけられた別名「千代田城」と呼ばれていたことに由来します。
千代田区は上記の他に内閣総理大臣官邸や国会議事堂、最高裁判所など国の中枢としての機能も多く擁しており、「千代田」の名に違わず、長い歴史の間発展を絶えず続けてきた区です。

江戸時代より続く国の中心地

さかのぼること今から400年以上前。徳川家康が創立した江戸幕府では、現在の皇居である場所に江戸城(千代田城)が建てられ、代々の徳川将軍が統治をしてきました。いわば江戸時代におけるこの国の中心地となっていたのが、現在の千代田区です。
城を中心としその周りを武士たちの屋敷が構えられていた江戸城の城下。その場においてお膝元中のお膝元である現千代田区には、米沢藩上杉家、彦根藩井伊家、熊本藩細川家、長州藩毛利家など、幕府に近い関係である大名の屋敷が多く構えられていました。
幕末期を経て、政権は幕府の手から離れますが、明治政府(天皇)は政治の拠点となる皇居を江戸城跡に構えます。そのため、国の政治の中心地となる場所は変わりませんでした。
以降も、千代田区は現在に至るまで日本の中枢機能を持つ重要なエリアとして機能をしています。
政権の交代や、甚大な被害を被った関東大震災、戦災などで大きな変化・変革も多かった千代田区。しかし、街のつくりや枠組みとなる部分は江戸時代から受け継いでいるものも多く、その名残を至るところで感じられるのはこの区ならではの特徴です。官公庁等の重要機関は上述の大名屋敷の跡地に置き、江戸城を中心に重鎮を配備する構図となっている上に、区内には江戸城関連の史跡が多く残されています。
「忠臣蔵」で有名な松之大廊下跡や、歴史を揺るがした大事件「桜田門外の変」が起こった桜田門、赤坂見附や日比谷見附、牛込見附等の江戸城三十六見附と呼ばれる見附跡も多く存在しています。

桜田門

牛込見付

伝統と革新を交えた街づくり

そういった多くの史跡を残しつつも、現代日本を象徴するエリアも併せ持つ千代田区。幕府に近しい大名の広大な屋敷跡を活かした国際的なシティホテルや大学キャンパスが立ち並ぶ「紀尾井町」エリアや、島崎藤村や滝廉太郎など日本を代表する著名文化人も愛した由緒ある高級住宅地、「番町」など、現代の様式に合わせて洗礼された街並みも多く存在しています。
また、高度経済成長により発展した世界有数の電気街、「秋葉原」はクールジャパンの発信地でもあり、日本の文化を愛する人々が世界各地から訪れる人気の観光地となるなど、時代の変化と共に由緒ある伝統と革新を交えた街づくりを行っています。

紀尾井町エリア

秋葉原

一度は目で見て感じたい!千代田区の誇る歴史的建造物

江戸時代から現代までの歴史を色濃く感じることが出来るこの千代田区には、歴史的建造物と呼ばれるものが多く存在しています。何気なく通っている場所、目に入れているもの、日本史の教科書に掲載されているもの、定番の観光スポットなど、現代の街並みに対し様々な溶け込み方をしていますが、その裏側にはこの地が歩んだ深い歴史や想いがあり、時代を超えて多くの人に愛されています。

東京駅丸の内駅舎

1914年に辰野金吾氏により設計され、創建された東京駅丸の内駅舎。1945年に戦災にて焼失をしてしまいましたが戦後より復元工事が行われ、2012年に完成しました。工事中ではありますが、2003年に国の重要文化財に指定されています。この駅舎の黒い屋根は、硬質かつ吸水性が高く品質が高い上に、純黒色が美しいことで有名な宮城県石巻市雄勝町の雄勝石が採用されています。また、駅舎内にある「東京ステーションホテル」も1915年開業と100年以上の歴史を持ち、ホスピタリティに富んだラグジュアリーホテルとしてその名を馳せています。

三菱一号館美術館

「三菱一号館」は1894年に英国人建築家のジョサイア・コンドル氏によって建設された丸の内における最初のオフィスビルです。19世紀後半に英国で流行した様式が用いられ、当時の「文明開化」の風潮を象徴しています。老朽化のために1968年に取り壊しがされましたが、コンドルの設計に基づき復元。2010年、「三菱一号館美術館」として再出発をしています。

日比谷公会堂

日比谷公園の中にある公会堂で、佐藤功一氏により設計された日本で最初の本格的なコンサートホールである日比谷公会堂。中立な市政を行うための調査機関を置く場所として東京市政会館の設計計画が行われた際、併設する公会堂として1928年に作られました。公園の景観と調和する、茶褐色のタイル張りと石材・黄色テラコッタの采配が美しい外観が特徴です。現在は大規模改修工事のため、施設利用は休止しています。

東京復活大聖堂(ニコライ堂)

1891年の竣工より「ニコライ堂」として親しまれている東京復活大聖堂。ミハイル・シチュールポフと三菱一号館も手掛けたジョサイア・コンドルにより設計された、日本初の本格的なビザンティン様式の教会建築です。1923年の関東大震災で大きな被害を受けたものの、1929年に修復。1962年に国の重要文化財に指定されました。愛称である「ニコライ堂」はこの日本に正教会の教えを説いたニコライ大主教の名前にちなんで付けられています。

山の上ホテル

1937年にアメリカのウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により完成された山の上ホテル。1920年代にパリで生まれたアールデコ様式を採用した独特なデザインが特徴です。当初はホテルとしてではなく、旧海軍に徴用された後、GHQにより米軍婦人部隊の宿舎として利用されていました。1954年よりホテルとして開業をすると、瞬く間に多くの文豪たちを虜に。「有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」という三島由紀夫の言葉がホテルへの想いを顕著に表しています。

未来永劫発展していく地

現在に至るまで様々な時代を最前線で歩んできた千代田区。多くの歴史的建造物を擁する歴史ある街並みと現代の日本像が共存し、千代にわたり発展する唯一無二のエリアです。