渋谷区は「センター街」「原宿」「道玄坂」など、商業の街、若者の街といった印象が強い街ですが、区内には「松涛」「代官山」「広尾」「代々木上原」など閑静な住宅地も多く、また「代々木公園」「明治神宮」「新宿御苑」(千駄ヶ谷門側)など広大な公園・緑地も拡がる緑豊かな地でもあります。特に「新宿御苑」「代々木公園」は23区内で5位・6位の広さを誇り、1~4位は郊外の公園になるので、山手線の駅が最寄りの公園としては1位・2位となります。
近年、「渋谷」駅周辺は、「東急」などによる再開発、公共施設の建て替えなども進められており、進化中の街としても注目されています。
なお、現在の渋谷区は、1932年、東京市の拡大に伴い、隣接する町村が編入される中で、豊多摩郡の渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町の3町を合わせて誕生しました。ここでは現在の渋谷区域を「渋谷エリア」として紹介していきます。
センター街入口
代々木公園
■1 地形と近世までの渋谷
渋谷エリアは「武蔵野台地」の東部、「淀橋台地」に位置します。中央には「渋谷川」が流れ、「渋谷川」とその支流が台地を削ったため谷地が多く、起伏のある地形となりました。渋谷の谷の深さは、東京メトロ銀座線が「表参道駅」の地下から、「渋谷駅」に向かうと地下から飛び出し、地上3階に駅があることからも感じられます(渋谷駅と表参道駅の標高差は約22メートル)。現在、「渋谷川」をはじめ、区内の河川の多くは暗渠(地下化された水路)となり地上は道路に転用されています。
渋谷エリアは、中世には豪族・渋谷氏の本拠地となり、「金王八幡宮」「御嶽神社」などの寺社が置かれました。江戸後期になると、江戸の町民の間で「大山詣」「富士詣」が盛んになり、渋谷を通る「大山道」も参詣客で賑わい、「宮益坂」には茶屋街が生まれました。
渋谷川に水車があったころの様子を描いた作品(葛飾北斎 富嶽三十六景 穏田の水車)
東京メトロ銀座線渋谷駅
■2 明治期~大正期
渋谷エリアは、明治維新後の1885年、「日本鉄道」の「渋谷駅」が置かれたことから徐々に発展をはじめます。1907年に開通した「玉川電気鉄道」(「玉電」)は「多摩川」の砂利を都心部へ輸送することが目的の一つで、「多摩川」への行楽客や「駒沢練兵場」などへの軍人なども多く利用するようになりました。その後も、東京市電(のちの都電)、東京横浜電鉄(現・東急東横線)、帝都電鉄(現・京王井の頭線)、東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線)と、多くの路線が乗り入れるようになり、東京有数のターミナル駅・乗り換え駅となります。
また、交通利便性が良くなった渋谷エリアには、明治後期以降、「青山学院」、「実践女学校」(現「実践女子大学」)、「私立東京農学校」(現「東京農業大学」、現在は移転)、「國學院大學」など多くの教育機関も移転してきており、文教の地としても発展しました。
大正期に入ると、明治天皇を祀る「明治神宮」が置かれ、多くの参詣客を集めるように。「明治神宮」は現在も初詣では、300万人程度と日本一の参拝客数を誇ります。また、「明治神宮」の造営時、全国からの約10万本の献木を植林し、現在では自然豊かな杜となりました。
大正時代の渋谷駅
明治神宮
■3 戦前期の発展
東京西郊の住宅地化が進むと、ターミナル駅として乗降客が増加、特に1923年に「関東大震災」が発生すると、被災者など、多くの人々が東京近郊への移り住むようになり、「渋谷駅」周辺は、乗り換え客の増加と共に商業地として発展しました。また、渋谷エリアでも住宅地化が進み、住宅会社の開発による分譲も盛んに行われます。関東大震災の復興計画の一環として政府が設立した財団法人である「同潤会」による近代的なアパートも青山と代官山に作られ、現在はそれぞれ「表参道ヒルズ」「代官山アドレス」となっています。1934年には、関東初の私鉄直営ターミナルデパートとなる「東横百貨店」も開業しました。
渋谷エリアを含め、東京市の郊外の都市化が進み、1932年、東京市は15区から35区へ拡大されます。このとき、新設20区の一つとして、渋谷区が誕生しました。
同潤会青山アパートメント(昭和戦前期)(生田誠氏提供)
表参道ヒルズ
■4 戦後から現在
終戦後、駅周辺には食料品や生活用品が売られる闇市がにぎわいをみせ、沿線住民の生活を支えました。「道玄坂下」には米兵あてのラブレターを代筆する店もあり、のちに「恋文横丁」として有名になりました。
1948年には「三丸洋品店」が開店、現在は「SHIBUYA109」となりました。
その後も、多くの文化施設・商業施設の進出があり、若者をはじめ、人々が集まる街へと発展していきます。1956年にはプラネタリウムをもつ「東急文化会館」が開館、現在は「渋谷ヒカリエ」となりました。1961年には「渋谷センター商店会」が結成され、1964年に開催された「東京オリンピック」では「国立代々木競技場体育館」「代々木選手村」「渋谷公会堂」などが誕生しました。
「代々木公園」の場所には、1909年、陸軍「代々木練兵場」が置かれました。翌年には、陸軍大尉で清水徳川家第8代当主でもあった徳川好敏が日本で初めて飛行機の飛行に成功しています。終戦後は米軍に接収され、宿舎「ワシントンハイツ」として使用されましたが、「東京オリンピック」開催にあたり、「代々木選手村」とするために返還してもらい、一部建物はそのまま選手村の建物として利用されました。オリンピック終了後、跡地は公園として整備され、1967年に広大な敷地を持つ「代々木公園」が誕生しました(全園開園は1971年)。現在、公園内には「ワシントンハイツ」「代々木選手村」として利用された建物が「オリンピック記念宿舎」として保存されています。
代々木公園
オリンピック記念宿舎
■5 近年の再開発と将来計画
近年、「渋谷駅」周辺では「東急」をはじめ、公共施設、鉄道会社、商業施設など、様々なプロジェクトが完成しました。代表的なものとしては、2019年完成の「渋谷区役所」「渋谷公会堂」建替え、2020年完成の「MIYASHITA PARK」などがあります。これらは、若者の街渋谷から、インフラ整備により幅広い年齢が訪れる街への進化を狙う背景があります。
他にも、2023年度完成予定の「Shibuya Sakura Stage」、2024年度完成予定の「渋谷二丁目17地区」、2027年度予定の「Shibuya Upper West Project」、など、商業施設や新しい空間づくりとなるようなプロジェクト、2029年度予定の「Shibuya REGENERATION Project」では、駅からまちへ回遊が広がる歩行者ネットワークや広場の整備など、新たなにぎわいや楽しみが広がる、大型プロジェクトも多数進行中です。
新しいスポットが続々と登場する渋谷区は、ますます注目度が高まるとともに、様々な人が訪れ、楽しめるスポットへ日々進化中。これからも新たなにぎわいが増していくことでしょう。
右が「渋谷区役所」、左が「渋谷公会堂」
MIYASHITA PARK
■ミニコラム 「東京琴」
「東京琴」は、江戸後期、江戸の山田斗養一が京都の「生田琴」を改良して誕生した「山田琴」を始まりとします。その後、重元房吉が琴の長さや厚みなどの改良を行い、美しい音色と余韻が特徴となり、「東京琴」と呼ばれるようになりました。「東京琴」は、1991年に「東京都伝統工芸品」の一つに指定されました。渋谷区では1895年創業の「三田村楽器店」が伝統を引き継いでいます。
東京琴