東京23区のその名の通り中央に位置する中央区。
この名前は位置関係からだけでなく、江戸幕府がはじまって以来商業・経済の中心地として発展したことにも由来しています。
1947年に当時の日本橋区と京橋区が合併し成立したこの中央区は、日本全国の地名で初めて「中央」という名を用いた地域としても有名です。
経済・商業・文化を担った地
江戸時代以降、経済・商業・文化の中心地として栄えてきた中央区。
江戸幕府のお膝元として大名たちの広い屋敷があったことはもちろん、日本橋が架けられたことで五街道の起点となり、交通・物流の中心地としてにぎわいを見せていました。このエリアに店を構えた呉服店、三井越後屋は後に日本初の百貨店となった日本橋三越本店の前身です。
商業が盛んになったことで両替商も集積していき、金貨を作る金座、銀貨を作る銀座もこの中央区に置かれます。その結果、現在は「日本のウォール街」と呼ばれる日本橋兜エリアを中心に、渋沢栄一による第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の設立をはじめとした数々の金融機関・証券会社の本社が置かれる地となりました。
加えて、中央区は元禄文化と呼ばれる上方(大阪・京都)の商人たちが中心の文化に対し、江戸の庶民が中心となって発展した化政文化の担い手でもありました。浮世絵、滑稽本、川柳、歌舞伎など現代まで受け継がれる日本文化の多くがこの地で大成しています。
エピソード性に富んだ地名
全国で初めて「中央」という地名を使った中央区ですが、そのほかにもエピソード性豊かな地名が多く存在しているのも特徴の1つと言えます。
銀座
都内を代表するショッピング街「銀座」の由来は銀貨の鋳造所である銀座がおかれたことが由来です。1612年にそれまで駿府(現在の静岡県)にあった銀座を移転したことで、その一帯を「銀座」と呼ぶようになったことがきっかけと言われています。
日本橋兜
日本橋兜の由来は、兜神社という神社です。
その兜神社にある兜岩にはいくつか伝承があり、平将門の兜が埋まっているためや、源義家が奥州征伐の際に岩に兜をかけて勝利を祈願したためなど、諸説あるようです。
築地
当時日本橋横浜町付近にあった江戸海岸御坊(現在の築地本願寺)が明暦の大火により焼失。再建の地として選ばれたのが当時は海であった現在の築地エリアです。門徒たちが再建のために海を埋め立て「築」いた土「地」というエピソードが由来となり、築地となりました。
八重洲
東京駅の出口の1つである八重洲。東京駅自体は千代田区にありますが、八重洲口は中央区に位置しています。
八重洲の由来になったのが、当時そのエリアに屋敷を与えられたオランダ人航海士で後に徳川家の外交顧問となるヤン・ヨーステンの和名、「耶楊子(やようす)」です。
按針町
現在は日本橋室町という町名になっているエリアはかつて按針町という町名がつけられていました。その由来となったのが、イギリス人ながら旗本となり幕府に重宝されたウィリアム・アダムスの和名「三浦按針」です。このエリアには三浦按針の屋敷が設けられ、屋敷があった通りは現在も「按針通り」と呼ばれています。
『憧れのショッピング街』銀座
日本橋兜の由来となった兜神社
発展が目覚ましい湾岸エリアの顔
江戸時代から現在まで国の中心である千代田区の側近的位置におり、時代の移り変わりを見てきた中央区ですが、近年は「湾岸エリア」と呼ばれる東京湾に面した「月島」「佃」「勝どき」「晴美」の注目度が上昇中です。
東京オリンピック2020にて脚光を浴びたこのエリアは、再開発による活性化が進んでいます。銀座等の都心部まで徒歩圏内で交通利便性が高く、ホスピタリティ性の高いタワーマンションや高層オフィスビルの立ち並ぶ姿は、湾岸エリアの顔といっても過言ではありません。
このように近代的な景観を生み出す一方、複数区をまたぐ湾岸エリア内で唯一、月島や佃では下町情緒を楽しめることが魅力となっています。
例えば佃煮発祥の地である佃は徳川家康が摂津国(現在の大阪府)の佃村より漁師を従え、その漁師たちに与えた地です。月島は魚問屋のある築地と前述の漁師町佃が近く、昔から活気ある商店街の街として地元住民に愛されています。
湾岸エリアの顔とも言える晴美・勝どきエリア
月島もんじゃで有名な月島は下町情緒が残る
一度は目で見て感じたい!中央区の誇る歴史的建造物
経済・商業・文化など人々の暮らしの中心地となっていた中央区。そのため、歩んだ時代の特色を色濃く映し出す歴史的建造物も多く存在しています。
日本橋
1603年に徳川家康の全国道路整備計画により架けられました。
当初の構造は木造でしたが、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど火事の多い江戸時代では何度も焼失し、1911年に現存する西洋風の石造二重アーチ橋となりました。橋柱の「日本橋」という銘板は江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜により書かれたものです。1999年に国の重要文化財に指定されました。
日本銀行本店
東京駅丸の内駅舎も手掛けた辰野金吾により、ベルギーの国立銀行を参考にして設計され、1896年に建てられました。1974年に国の重要文化財に指定されています。古典主義建築により厳格さが表現されている他、ドリス式、コリント式など様々な建築様式を採用しています。また、この日本銀行本店を上空から見ると日本円を表す「円」の形になっていることでも有名です。
築地本願寺
前述のとおり「築地」という地名の由来にもなった築地本願寺。
当初は浅草近辺に創建をされましたが、1657年の明暦の大火にて焼失します。その後1679年に現在の場所に再建、1923年の関東大震災で再度焼失をしますが、1934年に再度建て直され ました。 設計は東京帝国大学(現在の東京大学)の名誉教授でアジア各国を旅した伊藤忠太によるもので、至る所にインドをはじめとした古代仏教建築を模したデザインが採用されています。
三越日本橋本店
江戸時代の三井越後家を前身とし、日本初の百貨店として横川工務所により1914年に建造されました。当時最新であった鉄骨のカーテンウォール構造を採用したルネサンス様式の建物は大きな注目を集めたほか、日本で初めてエスカレーターを設置した建物でもあります。2016年に国の重要文化財に指定されました。
西仲通地域安全センター
1926年にそれまでの木造建築から改築された鉄筋コンクリート造りの建物です。
現存する日本最古の交番として地域住民に愛されています。現在は交番としてではなく、地域安全センターとして利用されて おり、地域住民の安全活動や道案内を行っています。
聖路加国際病院(旧病棟)
1901年に宣教医師ルドルフ・トイスラーによって設立された大規模総合病院です。
設計はアントニン・レーモンドをはじめとした3名のチェコ人建築家が行いました。創立者ルドルフ・トイスラーの出身地であるボストンのマサチューセッツ総合病院をイメージして作られたネオ・ゴシック様式の建物となっています。併設するチャペルとともに東京都選定歴史的建造物に選ばれました。
人々の暮らしの中心地として
人々の暮らしを支える経済・商業・文化の中心地である中央区。生活に密接した施設や建物が今も昔も多いこの地域は、歩んだ歴史と革新的な再開発により更なる発展が期待できるエリアです。