大人の手のひらにすっぽり収まるほどの丸い球に、色とりどりの糸で華やかな刺繍が施された「手毬(てまり)」。1000年以上前に日本に伝えられて以来、各地で伝承されている工芸品です。
今では毬をついて遊ぶ子どもの姿は見られなくなりましたが、江戸時代にお正月遊びとして親しまれたことから、現在も「新年」の季語としてもおなじみ。今回はそんな「手毬」のお話です。
中国から日本へ伝わった革製の「蹴鞠」がはじまり
日本における手毬の歴史は、飛鳥~奈良時代にかけて中国から伝来したのがはじまりだといわれています。ただし、その頃に伝わったのは鹿革をつなぎ合わせた鞠。歴史の教科書などで、平安貴族が輪になり、足で鞠を蹴り上げる「蹴鞠(けまり)」に興じる絵を目にしたことがある人もいるのではないでしょうか。 また、毎年1月4日には京都・下鴨神社では恒例の新春行事として「蹴鞠はじめ」も行われます。
「蹴鞠」はサッカーに似たスポーツですが、サッカーと大きく違うのは、ゴールに点を入れるのではなく、鞠を落とさないように隣の人に回すこと。6~8人でグループを組み、「3回以上蹴ってから次の人に鞠を回す」、「右足だけで蹴る」、「なるべく地面の近くで鞠を蹴る」など細かいルールが決められているそうです。
江戸時代には庶民の間で蹴鞠・手毬が大流行
やがて蹴鞠から派生して、丸めた綿などを芯にして糸でかがった「手毬」が誕生しました。手毬がどのように発展したかは定かではありませんが、鎌倉時代の歴史書には、正月に手毬の会が開かれたという記載も残されています。
手毬を床や地面に「ついて」遊ぶようになったのは、江戸時代に入ってから。羽根つきや凧揚げなどと並んで、正月遊びの定番として庶民に親しまれました。江戸後期に歌人・書家として活躍した良寛和尚は、子どもとの交流を大切にしていて、いつも懐に手毬を入れて持ち歩いていたといいます。
「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」(良寛)
まだまだ蹴鞠も人気があり、各地に「鞠場(まりば)」と呼ばれる遊技場も作られたのだとか。また、同じ頃に上流階級の奥女中が姫君の遊び道具や、嫁入り道具として手毬を作るようになり、前田家三代利常に嫁いだ徳川家康の孫・珠姫様が輿入れの際に持参した手毬が起源とされる「加賀てまり」をはじめ、全国各地に広まりました。幕末から明治にかけて、「あんたがたどこさ」(熊本)など、 手毬をつきながら数を数える「てまりうた」が各地で誕生します。
やがて明治に入り、西洋文化が生活の中に取り入れられるようになると、外国製のゴムまりが普及し、手毬は衰退します。自然の素材で作られた手毬と違ってゴム製は軽くてよく弾むことから、子どもたちの間で大流行しました。
各地でいまも受け継がれる装飾品としての「手毬」
残念ながら、子どもたちが遊ぶ玩具としての手毬は衰退してしまいましたが、現在も日本のさまざまな場所でその地域ならではの工芸品として受け継がれています。
《現在も各地で作り継がれている手毬の一例》
●鶴岡御殿まり(山形)
●本庄ごてんまり(秋田)
……藩邸に勤める奥女中が手仕事で作っていたことから「御殿」の名が付いたといわれています。毬の左右と下部に房が付けられており、玩具ではなく室内の装飾品や贈答品として用いられてきました。
●松本てまり(長野)
……約200年前に松本藩に伝わったとされ、縁起の良い柄でもある「八重菊」の刺繍は松本市のシンボルとしてマンホールカードにもデザインされています。
マンホールカードにもデザインされている
●栃尾てまり(新潟)
……ゼンマイの先にできる綿に白糸を巻いて芯にし、絹糸でさまざまな模様をかがる栃尾手まりは、中に木の実が入っているため、カラカラと音が鳴ります。下部に房を付けた飾り用と、ついて遊ぶ玩具用、どちらも作られています。
●加賀てまり(石川)
……加賀藩主に徳川家から嫁いだ珠姫が持参したのがはじまりといわれ、娘が嫁入りする際に幸せを願って持たせる習慣があったといわれています。中には鈴が入っており、振ると軽やかな音が鳴ります。
加賀てまり
加賀てまり
●愛知川びん細工てまり(滋賀)
……底が丸いフラスコ型のガラス瓶に、びんの口よりも大きな手まりを入れた、なんとも不思議な手毬。いつ、どのように伝わったのかは定かではありません。
●讃岐かがりてまり(香川)
……江戸時代に伝承した手毬をもとに、1970年代に誕生。モミガラに木綿糸を巻き付けたものを土台に、草木染の木綿糸でかがって作られています
●柳川まり(福岡)
……芯材として杉の間伐材を使用。雛節句に欠かせない吊るし飾り「さげもん」にも欠かせません
雛節句に欠かせない吊るし飾り「さげもん」
●琉球手まり(沖縄)
……沖縄らしい色の組み合わせが目を引く手毬。戦前、娘が十三歳になったお祝いに親が手づくりしたことから「十三マーイ(=まり)」とも呼ばれています。
ところで、手毬がどんな素材で作られているかご存知でしょうか。上記でも触れましたが、芯に使われる素材は、和綿を丸めたものをはじめ、ゼンマイ綿、ハマグリの殻、籾殻、山繭、砂、小鈴、木の実に木屑……と作られる地域や作り手によってもさまざま。現代では、発泡スチロールで作られた専用の芯も販売されています。
毬をかがる色とりどりの糸は、主に木綿糸に絹糸、化繊糸。色彩の異なる糸を組み合わせて生まれる模様のバリエーションは無限大ともいわれており、「菊」や「麻」、「七宝」など伝統的な吉祥文様から現代的にアレンジされた柄まで、多彩なデザインの手毬が作られています。
手毬そのものが「おめでたい模様」として、成人式の振袖や、女の子のお宮参りや七五三の際にまとう着物や帯の柄として用いられることも。女の子の遊び道具であったことから、女性らしさ、可愛らしさを象徴する模様であると同時に、丸い形状から「まるまると健やかに育つように」「困難に遭ったとしても丸く収まるように」という願いが込められているのです。
まとめ
ていねいに、ていねいに球体を作り、一針ひと針かがって、美しい手毬を作っていく――江戸時代には、こんな豊かな時間を過ごしていた女性が存在しました。現在も、各地の手毬工房ではワークショップが行われているほか、糸や芯など必要な道具と作り方の詳細が含まれる「手毬キット」も販売されています。ときにはこんな“ひとり時間”を過ごしてみるのもおすすめです。