有数の温泉地として知られる大分県別府市で、室町時代から受け継がれている「別府竹細工」。大分県は竹細工に欠かせない素材・マダケの国内生産量が最も多い地域としても知られています。国の伝統的工芸品にも指定されている、別府竹細工の魅力についてご紹介します。
1世紀から始まった「別府竹細工」の歴史
別府竹細工の歴史については諸説ありますが、最も古い説では1世紀頃まで遡ります。日本武尊(やまとたける)の父である景行(けいこう)天皇が、九州を拠点としていた熊襲(くまそ)征伐の帰りに大分に立ち寄り、高品質の竹を見つけて、茶碗かご「メカゴ」を作らせたのが始まりといわれています。
室町時代(1338年頃)には木をくりぬいたり、ロクロで挽いたりして碗などを作る木地師(きじし)が竹製の塩かごを発案し、その技術を応用して行商用のかごが生み出されました。この頃から竹製品の本格的な産業化が始まったと考えられています。
江戸時代に入ると、怪我や病を癒やすための湯治場(とうじば)として別府温泉の人気が急上昇。1週間以上滞在していた湯治客が、自炊のために使っていた竹製のかごやざる、味噌漉しなどを気に入り、土産品として持ち帰ったことから、竹細工の市場が拡大しました。
竹細工
竹細工
明治35(1902)年には、地場産業としての竹細工を広めるため「別府工業徒弟学校」を設立。その中の「竹籃科(ちくらんか)」では本格的な竹細工職人の養成が行われました。
さらに昭和13(1927)年、公設研究試験機関として「大分県立工業試験場別府工芸指導所」、翌年には負傷した軍人が社会復帰するための施設として「大分県傷い軍人職業再教育所」が設立されます。これらの施設はやがて現在の「大分県立竹工芸訓練センター」となり、現代において日本で唯一の竹工芸の専門訓練校として、優れた技術者、作家を生み出しています。
「別府竹細工」に用いられる基本の編み方
別府竹細工の主な製造工程は、竹材の伐採、竹を煮沸、もしくは直火で炙り、表面に染み出た油を取り除く「油抜き」、天日による乾燥、竹ひごの加工、編組(へんそ)、仕上げ。
中でも「編組」が最も重要で、200種以上もの編み方を組み合わせて多様な作品を作り挙げています。ここでは、別府竹細工に用いられる8つの編組についてご紹介します。
「四つ目編み」
基本的な編み方のひとつで、竹ひごの幅が縦と横ともに同じ太さのものを交差させ、等間隔の隙間を開けながら四つ目型に編んでいきます。

「四つ目編み」
「六つ目編み」
6本の竹ひごを斜めに組み、中心から外側に向かって編み進める技法。最もポピュラーな編み方で「かご編み」や、網目が六角形になることから「六角編み」や「亀甲編み」とも呼ばれます。

「六つ目編み」
「八つ目編み」
竹ひごを縦・横・斜めに重ねて編み進める複雑な技法で、網目が八角形になるのが特徴です。
「網代(あじろ)編み」
太めの平たい竹ひごを使用します。交差する目をずらしながら編む技法。隙間なく編み込んでいくため、仕上がりが頑丈です。編み方によって変化をつけることができ「枡網代編み」「四方網代編み」などさまざまな応用ができ、竹細工以外にも天井装飾や屏風などにも用いられてきました。

「網代(あじろ)編み」
「ござ目編み」
太い竹ひごを縦に、やや細い竹ひごを横にして編みこんでいく方法。編み目が敷物のござに似ていることからその呼び名が付きました。

「ござ目編み」
「縄目(なわめ)編み」
竹ひごを縦や横、斜めに、縄をなうようにして編みこんでいく技法。
「菊底(きくぞこ)編み」
編み目模様が菊の花に似ていることからその名が付いた「菊底編み」。竹を放射状に重ね、中心から外側に向かって互い違いに編み込む技法で、底が円形の竹ざるやかごに用いられます。
「輪弧(りんこ)編み」
竹ひごを放射状に組みながら、中央に輪ができるように編み上げる技法。「輪口編み」とも表現されます。
まとめ
昭和54(1979)年には国の伝統的工芸品に指定され、いまでも別府の街では生活必需品として愛用されている別府竹細工。現在では、ファッション雑貨やインテリア、アート作品など、個性豊かな作り手によってさまざまな作品が作られ、海外からも注目を集めています。別府を訪れた際は、ぜひ手に取ってみてください。運が良ければ、竹かご作りなどのワークショップにも参加できるかもしれません。